庭で鳥がご飯を食べていたようです。

駐車してる時に取った写真ですが、
鳥1「クルマ キタ。ヤベ、ヤベ」
鳥2「ニゲロ、ニゲロ」
鳥3「ムシ、ウマ、ウマ」
絶対こんなこと考えてるよなーなんて想像していました(笑)
すぐに飛び立つこともなく、徐々に遠ざかっていきつつご飯を食べている鳥たち。
いい根性してるわ(笑)
ムシ、クエ、クエ。どうも、学習塾キャリコの釘山です!
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ネットニュースでこんな記事を見つけました。
【校長除く全教職員が授業取りやめストライキ…和歌山の私立高校、4月分給与未払いで】
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220512-OYT1T50070/
そりゃ先生たちだって生活がありますからね。
お給料は労働の対価。
先生たちの気持ちはわかります。
けど、1ヶ月分未納でストに踏み切っちゃうのはどうなのかなと、、、
以前にもあったのか、それとも経営側への不信感が募ってのことなのか。
詳細がわからないと何とも言えない部分ですね。
しかし、僕がこの記事で気になったのは、下記の部分。
【一方、北海道大の佐々木隆生・名誉教授(教育制度)は「教員はいくら聖職だといっても無給で働くわけにはいかず、ストライキはやむを得ない手段だったのだろう」と教職員側の対応に理解を示しつつ、・・・】
いや、聖職ちゃうやろ。
本来聖職者とは、宗教を宣教するもののことを指しています。
その中で教育の行き届いていない市民へ教育を行っていたことで、教師=聖職者の構図ができているんだと思います。
もちろんこれは無償で行っていたもの。
【聖職者=無償で教育を行う者】であると僕は思います。
お給料をもらって仕事をしている時点で聖職者ではないんです。
「そんなん別にどうでもよくね?」
と思われるかもしれないですが、教員=聖職者という感覚を当たり前にしてしまうと、
「先生たちは聖職者だから、お給料少なくても大丈夫だよね」
「残業代出なくても、子どもたちのためにやってることだから問題ないよね」
という思考になることも考えられます。
また、先生たち自身がそう思うことで、低賃金・サービス残業を受け入れてしまうという悪循環も生まれます。
「給料少ないのになんでこんなに忙しいんだよ!」
「子どもたちのために仕事をしたいのに、自分のことで精いっぱいだよ、、、」
先生たちの心のゆとりがない状態で、いったいどんな教育ができるのでしょうか。
実際教職の現場では、精神的につらくて休職をする先生たちも多く存在しています。
また、純粋に「子どもたちの将来のため!」と教職の道を目指してくれる学生もいます。
世間ではこれほど「教員はブラックだよ」と言われているにも関わらず。
教育に携わる人たちを潰さないために、社会が、そして先生たち本人が
「先生は聖職者じゃない、労働者だ!」
と考えを持つことも重要じゃないかなと僕は思います。
(まあ、先生の中には一定数クソみたいな人たちも混じってますが、、、(笑))
「公立の先生は公務員だからストはできないからね」
と飼い殺すのではなく、先生のためにもっと環境を整えようとする政治になってほしいと思います。
同様に保育士の方々の環境改善ももっと進むといいなとおもいますね♪
ちなみに、以前お世話になったコンサルの先生いわく、
「(塾の)先生が貧乏で汚い恰好しとったら、子どもたちは何のために勉強するのかわからんくなるやろ。勉強頑張っても、こんな大人にしかなれんのかってな。勉強して頭良くなって、その結果いい車乗って、きれいな服着て、楽しい生き方しとる大人になれるんやでって教えてやるんが俺らの仕事やで♪」
いまだに心に残ってる発言です♪
さすが高級外車を乗り回す先生なだけあります(笑)

子どもを育てるのは親だけではなく、地域社会で行うもの。
地域社会で子どもに携わる仕事の人が、金銭的・精神的に安定している社会を構築できたら理想なんじゃないかなって思います♪
今後もどうぞよろしくお願いいたします♪